3月27日 大阪の病院に転院するまで

2017.03.27
ホームページを訪問してくださった皆様、日記を読んでくださっている皆様、いつもゆきのことを応援していただきありがとうございます。

これまでの経緯について前回の続きを書きたいと思います。
期間が空いてしまい申し訳ありません。

福島県立医大病院にて一般病棟に移ってからは順調に回復していました。
点滴も徐々に減り個室から大部屋に移ることもできました。


初めて寝返りが出来るようになったのもこの頃です。
強心剤の点滴を少しづつ減らしていってましたが一定の量でまた心臓に負担がかかり、心不全の値であるBNPが上がり始め、浮腫みも出始めました。
大事をとってICUに入りましたが、強心剤の点滴や鎮静剤の点滴も増やし、5月に病院に搬送された日に戻ってしまったような姿でした。


ICUに入ってからは心拍数も高い日が続き、ずっと心臓に負担をかけている状態でした。貧血も酷くなり輸血を始め、肺にまで負担がかかっている状態でゆきの顔色も悪く毎日が不安と恐怖でいっぱいでした。
数日後、先生から『今後の治療』について話がありました。
・このままこの病院にいてもこれ以上の治療法がないこと
・わずかな望みをかけて心臓移植という道に進むこと
その時に初めて心臓移植の話を聞き、ゆきに少しでも助かる道があるならと私達は即答しました。

ホームページの両親の言葉にも少し書かせていただきましたが、私達は2012年に長男を心臓病で亡くしています。
今だから分かることですが、2010年に小児の心臓移植が法改正され、現在ゆきがつけている小児用の補助人工心臓の治験が始まったのが2011年、6歳未満の心臓移植が国内で行われたのは2012年です。
ゆきと同じような症状だった長男の心臓病ですが、当時の私達にはそんなことも分からず、ひたすら長男の回復を信じ、祈ることしかできませんでした。
最後の日に先生が心臓マッサージをしている手を止め、私と父の抱く腕の中で長男は静かに息を引き取りました。何もしてあげることができなかった自分に後悔をする日もありました。

話を戻しますが、ゆきに心臓移植という道があると言われた時に長男のことが蘇り、すがる思いで先生に転院先の病院を探していただきました。
大阪の病院に受け入れが決まり、大阪の病院の先生がゆきのことを診察に来てくださいました。
少しでも状態が悪くなる前に転院しましょうと言われ、その時に心臓移植のことと小児用の補助人工心臓の詳しい説明を受けました。

その2日後にゆきは福島県立医大病院の先生、看護師さんと医療ジェット機で現在入院している大阪の病院に転院しました。

7月22日、私達は先に大阪に着いていたので、ゆきが病院に無事に着き顔を見たときは本当に安心しました。
その日から私達にとってもゆきにとっても心臓移植という道への第一歩となりました。


長くなってしまい申し訳ありません。読んでいただいてありがとうございます。
また続きを書こうと思います。



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